仏になるということ

2023/09/18
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きわめて私事で恐縮ながら、母が先日他界いたしました。
不謹慎な物言いかもしれませんが、気性の激しい母が文字通り「仏」になってしまったのです。
68歳という平均寿命からすればまだまだという若さでしたので、母の死の知らせが完全に寝耳に水で未だに実感がないのですが、それは私自身が母の死に顔を一切見ることもなく、葬儀の知らせも受けられず、荼毘に付した後の報であったことが一番の理由かもしれません。

いろいろあって母との意思疎通が拗れたままこの数年過ごしてしまい、その間に母の病気が進み、それを知らされないまま逝ってしまったので、実の母を看取ることも、見送ることもできなかったわけですが、それ故に母の他界という悲しみや実感が希薄で、むしろ自分以外の親族の悲しみぶりに翻弄される方が大きく、どこか冷静過ぎる自分を俯瞰で見てしまうような一時的な精神的乖離を起こしていたと思います。そしてただただ念仏のように「なんでやねん・・・なんでやねん・・・」「意味わからんわ・・・」と言い続けている私でした。

悲しいよりも「母は既に死んで葬儀も終わっている」という状況が寝耳に水過ぎて意味がわからない事もあって、「実の母の死を真っ当に悲しめない自分は薄情なのか」と自分で思うくらいには涙が少なかったのですが、間違いなく悲しかったし、最期を看取れなかったことや見送れなかったことが無念で、何度か発作のように泣いたのも事実です。

なかなかに人の業というものを考える母の他界でした。

私の両親は不仲が常で、私が大学で一人暮らしをしている間にいつの間にか離婚し、母は父を憎み続け、父は離婚に関して何も語らず、私は父母どちらの肩も一切持たないことを信条にしつつ、大学を卒業して仕事を始めて東京へ出てしまい、事実上の一家離散。自分と父母との関係も物理的距離だけでなく、精神的にも妙に離れた距離感になってしまいました。

その後も両親とは個別に交流はあるものの、そういう状況で親子のコミュニケーションが歪まないわけもなく、特に母親の気性と自分の気性では噛み合うことが難しく、関係が拗れてしまいました。母への感謝はあるのに上手くコミュニケーションができない関係のまま逝ってしまいました。

何の縁だか私が進んだ大学は仏教系の大学で、哲学的な思想が嫌いではなかったこともあって、死生観の授業や仏教的思想の授業は比較的よく記憶していて、今回母のことについてもまさに仏教で言うところの生老病死という四苦と、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の八苦に尽きるなあと妙に達観したところから見ているような気がします。

本当であれば息子としてもっと悲嘆に暮れていて然るべきなのではと自分へ呵責の気持ちがありますが、文字通り仏になってしまった母には娑婆の四苦八苦から開放された浄土で怒ることも苦しむこともなく私の今の気持ちを理解してくれていれば良いなと願うばかりです。

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