嫌いな人とは自分のこと

2017/11/20
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僕は「苦手な人」は多いけど「嫌いな人」はほとんどいない。

そもそも人付き合いがしんどい性質なので、苦手な人とはすぐ疎遠になるのだが、フリーランスで10年やってると、「苦手な人」というのは自分自身が作り出す影や妖怪のようなもので、自分の作った壁が相手を「苦手な人」に変えてしまうことも少しづつ理解できてきた。とはいえなかなか壁を作らないというのは難しい。日々悩むことも多い。

僕の中の好き嫌いの序列は

好きな人>なんとも思わない(ニュートラル)>苦手な人>腹の立つ人>■■■越えられない壁■■■>嫌いな人

という感じになっていて、これまで「嫌いな人」に分類された人はいなかったように思う。


僕の中では人生で最高に苦手度MAXの人ですら嫌いではないし、腹の立つ人でも機会さえあれば関係を修復したいと思ってる。誰かに腹がたつのも苦手なのも、結局自分にどこか後ろ暗いことがあったりすることが多い。

何にせよ、自分が苦手だと思った人とは、できるだけ避けて関わらないように生きてきたので、誰かに対して苦手以上の感情へとエスカレートする事は本当に滅多にない。そういう意味では自分は相当のんびり生きていると思うし、ある意味では相当に薄情かもしれない。つまり今ここに至り「嫌い」というのはある程度深く関わった人との間に生まれる感情だと思う。


そして本題。最近「嫌いな人」が出現した。
出現したというか「嫌いなんだな」と気づいたというべきか。

そいつは稚拙、不義理、空気読まない、自分勝手。

とにかく不義理かつ自分勝手な事が癪にさわって仕方ない。
事務的に仕事をするだけならもうどうでもいいのだけど、事務的に進めていても突発的に「ハァあッ!?💢」みたいなことが度々ある。ちょっと別件の話してたらお前のどこに話乗っかってくる余地あるの?みたいなところに平気で首突っ込んできたり、それをやったら他人を巻き込むだろって事を勝手に決めたり、言わなくても普通わかるよねこの業界にいればっていう慣習事をがわかってない稚拙さ、一番気にくわないのが他人のふんどしで中途半端な相撲を取る言動が多いこと。とにかくこいつ頭おかしいだろって思う。

とにかくそんな人物なのであまり関わってはいないが、どうしても視界に入ってしまうこともあって目障りで、今やそいつと関わってしまった事を本当に後悔してる。

修身できてない自分が言うのも何様だよ感はあるんだけど、彼の仕事をやってる動機とレベルの稚拙さ、不義理、空気読まない、自分勝手というのが無性に腹立たしくて仕方ない。

しかし、嫌いな人というのが先にも書いたとおり、ある程度深く関わった人との間に起こる感情だとすれば、腹を立てているのはまだそいつのことをなんらか気にしているからなのかもしれない。しかしそんなことは認めたくない。あるはずがない。

・・・そう思う葛藤こそが人を嫌いになる一番の原因かもしれない。

人がどうしようもなく悶々と腹をたてるというのは、相手の行動に腹を立てているように見えて、相手の行動の中に自身の抑圧されたものを投影した結果なんだなと本当に理解したのはこの数年だが、彼に対する嫌悪はまさにそういう自分の未だ修身できていない部分を見てしまうからかもしれない。


稚拙、不義理、空気読まない、自分勝手。


これがいかに人をイラつかせるか。そういう意味では自分がスタジオをやめて某機材屋に勤めた約1年間、社長と営業のボスに諭され怒られっぱなしだったのは、現場しか知らずに三十路を迎えそうになっていた自分にはとてもいい経験になった。怒られっぱなしだったので社長や営業のボスは苦手だけど、今ではとても感謝している。調子に乗りやすい自分なので、今もその怒られた言葉を時折思い出しては、できるだけ謙虚に、人を敬って生きていこうと心がけている。

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