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ProtoolsHDからHDXへ ~HDXは必要か?~

2012/02/09
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2011年10月の末、突然の登場で録音業界に衝撃をもたらしたProtools HDX 。

現在主流となっているTDMプラグインを切り捨て、AAXプラグインへの移行を打ち立ててProtools10ソフトウェアと共に登場したHDXシステム。HDXカード1枚の処理能力は従来のAccelカードの5枚分という驚異的パワーである。

▼Protoolsの新基軸となるPro Tools|HDXカード
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しかしながら完成されたHDシステム(別名TDMシステム)による資産を切り捨ててのHDX発表。
過去のセッションデータ資産の継承という意味では非常に乱暴なリリースだった。
また、そこまで現状のHDシステムに不満を抱いていないユーザーが多かったことも事実。AVID(旧Digidesign)はなぜ今HDXをリリースしたのだろうか。

HDXという新しいポストデファクトスタンダードは果たしてほんとうに必要なのだろうかを考えてみた。


■2002年の衝撃 ProtoolsHDシステム発表

2002年に発表されて以来、プロフェッショナルな録音業界におけるデファクトスタンダードとして君臨したProtoolsHD。

まだアナログからデジタルへと過渡期にあった録音技術業界で、常に「アナログ VS. Protools」という構図で語られ、常に厳しい目に晒されつつ浸透してきたHDシステムだが、結局アナログが絶滅した後、そのリプレイス候補として他の選択肢を寄せ付けない先進性で瞬く間に業界標準となってしまった。

結局2002年のHDシステムの発表から今日まで、デジタル録音を支える演算処理技術にも数々の技術的革新があったにもかかわらず、10年近くシステムの基幹部となるDSPカード、いわゆる「HD Coreカード/Accelカード」に関してアップデートをすることがなかった。これはつまり、HDシステムがいかに完成されたものであったかを物語るんじゃないだろうか。

2002年当時のコンピューターといえば、ようやくハイエンドユーザーへPentium4が普及し始めたあたりで、マルチコアCPUやギガバイト単位でメモリを搭載するのはまだ数年先の話。パソコンのCPU処理依存で確実にレイテンシー無く高度な音声処理をこなすには、まだまだ処理能力不足という時代だった。

HDシステムはそんな2002年当時の貧弱なコンピューターシステムでも膨大なデジタル音声処理を、確実に低遅延で処理できる唯一のソリューションだったわけである。 音声処理専用にMOTOROLA製DSPを搭載した「HD Core/Accel」カードと、そこに繋がる専用AD/DAインターフェース「192I/O」によって、24bit/192KHzレコーディング、内部演算処理48bit固定小数点演算を可能にした。

48bit=288dBという広大な内部レンジを使うと、アナログでは難しかった歪みのないクリアなミックスが可能となる。、結果的に少々のことでは歪まないリニアリティを持つProtoolsゆえに、「音がなじみにくい」「音が分離してしまう」など初期の評価は、アナログっぽさ、つまり非線形的要素がないところに集中した。しかしこれもプラグイン処理によるシミュレーションや、エンジニア個人のノウハウ蓄積によって徐々に問題とはされなくなっていったのは周知の通りである。

ともかく、人間の聴覚が捉えることの出来るダイナミックレンジが120dBであるから、Protoolsの扱う288dBという数字がいかに余裕のあるものかが分かると思う。 

ところがこの「内部48bit固定小数点演算」というスペック表記には隠された秘密があった。



■あまり知られていなかったHDシステムの弱点 ~48bitと24bitの壁~

HDシステムの根幹である通称「Coreカード」とか「Accelカード」には複数のDSPチップが乗っている。
それぞれのチップの内部では確かに「48bit演算」されているのだが、複数のチップ同士を結ぶ「TDMバス」の信号経路は「24bit」幅なのである。

なので、DSPをまたいで音声を処理する場合、言い換えれば、異なる数種類のプラグインで音を処理するような場合には、必ず幾度かのディザー処理を経てしまうのである。

ディザー処理は御存知の通り、音量の小さなデジタルデータ部分につきまとう量子化ノイズを回避するために敢えて加えられる特殊な無相関ノイズなのだが、このノイズ抑制するためにノイズをを加えるという毒を持って毒を制す技術は、一部オーディオファンやエンジニアにとっては非常に気持ち悪い存在なのである。 (個人的にはディザーに関しては「エンジニアは出た音で勝負」なのでどうでも良い派です。)

もっとも原理的に考えていけば24bitへコンバートする際に加えられるディザーは24bitで扱えるダイナミックレンジ=144dBからすればほんの一部分であるし、人間の耳のダイナミックレンジが120dBであることからも考えれば、完全に可聴範囲外となるのでさほど大きな問題とはならないはずなのである。

ディザーは必要悪であり、それ自体のもたらす結果は恩恵のほうが大きいのである。 ただ、技術的な理解が及ばない人にとってはノイズを加えるという部分だけがフィーチャーされてしまう技術なので、ディザーという技術原理をしっかり理解するか、理解できなくても必要悪と見なせるかどうかの問題である。

結局のところ、HDシステムを使っていると、好むと好まざるにかかわらず、どうしても24bit-48bit間で何度かディザーがかかった音を聞くことになる。これがHDシステムの弱点だった。

弱点とは言っても、クリティカルな問題になるほどのものではなく、気分的な要素が強い半ばオカルトな弱点であった。
実際にHDシステムの音のクリアネスというのはアナログなどとは比較にならないほど高かったし、恐らくDSPチップ間を20回ほど行ッテ来イした音を聞いても、ソースの音とは 「ほとんど」 変わらない事はご承知の通り。世界中のエンジニアが10年間使い倒してきたシステムである。あの曲も、あの映画もHDシステムなしには存在し得なかったのである。

結局、大半のユーザーはこのディザーの事実をを知ってか知らずか受け入れることができたのだが、一部コアなユーザーは納得しなかった。彼らが音を聞いて判断したのかどうかはわからないが、この点について散々文句を言い続け、「音が悪くなる!劣化するだけの箱だ!」とまで言い続けたのである。

それでも結局10年間リプレイスされる必要性に迫られなかったHDシステムである。
その設計上の完成度の高さゆえに10年以上をリプレイスする必要がなかったというのが個人的な見解である。



■ProtoolsHDシステムではこれからを乗り切れないのか? HDX導入の是非

ではなぜDigidesign(現AVID)は今HDXという新機材を投入したのだろうか。

私には「10年放置じゃないよ!アクションを起こしたよ!」というエクスキューズ(言い訳)と、「買い替え需要喚起」という経営的判断のためだけに思える。

発表後10年を経てHDシステムのハード的需要はほぼ飽和した状況になり、ソフトのアップグレードによる「お布施」収益では成り立たなくなってきたことが大きな1つの要因では無いだろうか。

あとは純粋に、2002年当時と比べて処理能力が上がったCPUにより、ネイティブ系のソフトウェアとHDシステムのカタログスペック的な差異が縮まってきたことも挙げられるだろう。 しかしそれはあくまでカタログでの数値上のものであって、「安定性」や「信頼性」、「連携の優位性」といったプロフェッショナルな現場で求められるシビアな要求に応えられるネイティブ系ソフトウェアは未だ無いといってもいい。ただ、どうしてもカタログスペック的にはネイティブ系に迫られてきた以上、Protoolsの優位性を保つため一段の差を付ける必要があったというのが本音だろう。 ついでにHDシステムの弱点であったディザーの問題も解決できたのである。


結局のところ、32bit/192KHzレコーディングが可能、内部64bit浮動小数点演算、Accelカードの5倍の処理能力、カード1枚で音声256トラックetc... スペック的にHDXは非常に優れているし否の付け所がないのだが、そこまでの能力を欲している人はそんなにいたのだろうか? もちろん需要がないからモデルチェンジするのは悪だ!などとは言わないが、ユーザーサイドとしては過去のセッションデータとの互換性などを考えれば、TDMを切り捨ててまでHDXを推す必要はどこにもなかったと言える。

各スタジオさんも「よくわからないけどHDX出たし、買い換える?どーする?」みたいな話題になって、HDXへの乗り換えをぼんやりと検討したりしているようだが、HDX導入がスタジオの「売り」になるというのであれば別だが、このあたりよーく考えてリプレイスすることをお勧めしたい。

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